寛永12年(1635)11月20日付、豊後臼杵藩領・豊後海部郡家野村組
和装幀秩入 仮綴・竪帳
寛永12年(1635)11月20日付、豊後臼杵藩領・豊後海部郡家野村組
和装幀秩入 仮綴・竪帳
寛永12年、将軍徳川家光の命令によって全国一斉に実施された宗門改に際して、豊後国(現・大分県)の臼杵藩稲葉家の領内で作成された宗門改帳の一冊。キリシタンでないことを認めた起請文の提出者について、「家」の戸主の名およびその「家内」に属する人数が列挙され、家野村・西蔵村・挾岡村など計12ヵ村あまり(家野村組)とその各所の「御蔵納」(直轄領)等の項目毎に記されている。個々人の宗旨や檀那寺などの記載が無い、近世最初期の俗請の宗門改帳として貴重な一次史料。
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和装幀秩入 竪帳
寛永14~15年(1637~1638)に起こった島原・天草一揆(天草・島原の乱)に関して、キリスト教の伝来から一揆勢の蜂起、原城落城による一揆終戦、戦後の島原藩主松倉家の改易までを時系列で認めた軍記物語。近世期を通じて、島原・天草一揆は邪宗門を妄信する「切支丹」が起こした大乱として人々の関心を寄せて多くの文芸作品が著されたが、本書もそうした文芸作品に分類される、庶民向けの仮名草子。
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鈴木正三 原著
寛文2年(1662)京都柳枝軒(小川多左衛門)刊行、写本
和装幀秩入
島原・天草一揆後の天草代官を務めた鈴木重成の実兄で、曹洞宗の僧侶である鈴木正山が著した排耶書。復興政策の一つとしてキリシタン根絶のための仏教再布教が天草で進められる中、正三は寛永19年(1642)以降二度にわたって天草に来島し、天草郡内の仏寺32寺の創建・復興に尽力した。本書は天草の各寺に配布するために著されたものとされる。『破提宇子』と並ぶ江戸時代のキリスト教批判の代表的書物である。
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・「嶋原陳之節御備」寛永15年(1638)阿波徳島藩蜂須賀家 KBsMs:773
・「転之者本人并類族御帳」貞享4年(1687)豊後大野郡川登・市村傳右衛門関係の類族帳 KBsMs:402
・「切支丹根元記」(吉利支丹根元記)山口県下旧家伝来 KBsMs:718
・「切支丹宗門来朝実記」寛延2年(1749) KBsMs:724
・「桜町宗旨改踏絵帳」文政8年(1825)、乙名境武平・組頭二人 作成 KBsMs:652
・「仙北郡角館町寺之門前切支丹取調帳」安政4年(1857)5月
・「洗礼帳」(御水帳)1872年 平戸藩領・肥前北松浦郡古田村 KBsMS:12 など